あの人に聞いた
第1回

愛新覚羅ゆうはん
作家・開運アドバイザー
プロフィール
愛新覚羅ゆうはん(あいしんかくら・ゆうはん)
作家・開運アドバイザー(占い師・風水師)。
中国黒龍江省ハルビン市生まれ。映画『ラスト・エンペラー』で知られる清朝の皇帝・愛新覚羅一族の流れをくむ。家系が信仰していたシャーマニズムの影響を受け、幼少期より神智学や占いに没頭。東洋・西洋あらゆる占術に精通し、古神道歴は20年以上。20年で延べ2万5000人以上を鑑定。
著書は20冊超。主な著書に『金運龍神風水 一生お金に困らない開運術』(日本文芸社)、『手放すと開運! 風水』(エクスナレッジ)、『神さま・仏さまとのご縁のつなぎ方』(ブティック社)、近著に、運命的な星のコンジャンクションによる新時代の幕開けを占い師4人の初の共著として上梓した『ZERO POINT 占星術×風水×数秘術で描く 新しい私の始め方』(日本文芸社)がある。
愛新覚羅ゆうはん公式サイト:https://aishinkakura-yuhan.com/
編集者 愛新覚羅ゆうはんさんは、ご先祖が信仰していたシャーマニズムの影響を受けて神智学や占いの世界に入られたということですが、ご先祖の愛新覚羅家はどういった系譜をたどるのでしょうか。
ゆうはん 中国には現在、公式に56の民族が存在しています。その中の1つが、中国東北部を故地とする満洲民族です。満洲民族のルーツは、かつてこの地域に暮らしていた女真族にあります。17世紀初頭、女真族の有力な指導者であったヌルハチが諸部族を統一し、「後金」という国を建国しました。その後、2代目のホンタイジの時代に国号は「清」へと改められ、同時に民族の呼称も「満洲」とされます。これが、のちに中国を支配する清王朝へとつながっていきました。実は私の祖母の家系は、この満洲民族(愛新覚羅氏)の流れに連なっています。
満洲族の信仰の中心には、古くからシャーマニズム(精霊信仰)があります。自然や祖先の霊を大切にする信仰で、モンゴル民族との交流の中で遊牧民の自然信仰も取り入れられてきました。さらに清朝の中期以降になると、皇帝がチベット仏教を保護したこともあり、チベット密教・仏教の要素も加わっていきます。こうしたさまざまな宗教文化が融合しながらも、満洲族の精神文化の根底には、いまもなおシャーマニズムの伝統が息づいています。
ただ、私が先祖のことを詳しく知ったのは20歳の頃です。私は幼少期から目に見えない精霊を感じたり、超自然的存在との遭遇をしていたのですが、先祖のことを知って血縁や私のDNAの中に流れているもの、そうしたつながりが深かったから不思議な現象が起こっていたんだと、何か答えを見つけられた気がして安心したのを覚えています。
そんな霊的な経験をしていましたから、10代で神智学の母と言われるヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー氏の本に出会ったことから神智学に興味を持ちました。神智学とは「人類や宇宙の根源的な智慧(神聖な知恵)を探究する学び」を意味します。神の知識、たとえば「宇宙とはどうなっているのか」「神とはどういう存在か」「自分たちの魂はどういうふうにしてつながっているのか」といったことを体系化した学問です。そこでわかったのは、運命的、宿命的、必然的なことはすべて宇宙によって動かされているということ、人の魂というものは霊的な作用につながっているということです。また、輪廻転生で行いやカルマがどう影響してくるのか、神やその人にとっての神(マスター)を信じる力はどこからくるのかといったことも語られていて、私は神智学にシンパシーを感じて、そこからどうやったら運が開けてくるのだろうかといった占いなどにもはまっていきました。神智学はそもそも西洋の学問なのですが、私が神智学に関わりがあったのは出身地のハルビンが東洋のパリと呼ばれたロシア正教の街だったからです。ですから小さい頃から家のそばに教会があり、西洋的な場所で過ごしたという経緯があります。実際に教会で透明な双子の天使の姿を見たという経験もありました。
編集者 幼少期から霊的な体験をして神智学や運について勉強された、その原点がご先祖のシャーマニズム信仰にあったというのは、これも運命的に宇宙に導かれた結果でしょうね。そこから古神道も学ばれていったのですか。
ゆうはん 私はそれまで西洋的なつながりのほうが深かったのですが、ご先祖様のルーツを知るようになった20歳の頃、古神道の先生に出会ったことからこの世界を知るようになりました。古神道とは、岩や川や山に敬意を持って接する、つまり自然神を崇めるという考え方で、神道につながる古流の神道です。言ってみれば"和の神智学"であって、私はそれまで"洋の神智学"を学んできましたから、アジア人として、また日本という国に育ててもらっている敬意もあって、ここから日本の神様とは何か、日本の神話とは何かといった和の精神も勉強するようになりました。しかも私のご先祖様のシャーマニズムやアミニズムにもつながってきて、とても親和性を感じたんです。
編集者 ゆうはんさんは西洋の神智学、東洋の古神道や神道とオールラウンドに学ばれたということですね。そこで、古神道や神道について教えていただけますでしょうか。
ゆうはん 神智学は抽象的で宇宙的なものなのですが、古神道はもっと土着的です。古神道とは名のごとく古い神道で、いまの新しい神道とは明治前と明治後ではまったく違ってきます。明治以降、古神道は衰退してしまうんです。廃仏毀釈といって、神道と仏教を分離し、神社から仏教的な要素を排斥しようという神仏分離令(1868年)が布告されたからです。
日本という国はとても面白くて、6世紀半ばに仏教が入ってきたときに、この思想は素晴らしいと和の精神でもって仏教を取り入れました。たとえば、神道の神である天照大神様と仏教の大日如来様は同じ作用があるので合体してしまいましょうと、神仏習合という考え方をつくったのです。日本は海外のいいものを取り入れて国力を強くしようといった柔軟性があって、神と仏を一緒に祀るという神仏習合が本格化した奈良時代(8世紀頃)から明治まで1000年以上続いたんです。ですから、古神道の歴史というのは長かったのですが、政治的な改革で新たな国家神道となり古神道は衰退していくわけです。ただ、土着の信仰ですから消滅してしまうのではなく、それぞれの地域で残り続けます。そうした信仰は柳田圀男さんや折口信夫さんなどの民俗学者によって後世に残されたおかげで、私たちが継いできた部分があると思います。
編集者 明治期に神社とお寺が分けられて、神社は国家神道となり、それも戦後に廃止されてしまったわけですが、古神道が「日本古来の文化・信仰」としての土着信仰として生き続けているということがよくわかりました。ゆうはんさんが古神道を学ばれて私たちにも取り入れることができることはありますか。
ゆうはん 古神道の作法は基本的に禊(みそぎ)で始まって、祓いによる浄化法があります。これを潔斎(けっさい)というのですが、この潔斎は、わかりやすくいえば「リセット&スタート」です。祓い整えるというのは、たとえば風水とも非常に親和性があって、整える、浄化する、きれいに片づけるといったことがライフスタイルのなかにあるのが風水です。つまり、祓い整えていくなかで運が開けてくるということです。たとえば、水を飲む、歯を磨く、お風呂に入るといったことはすべてお清めです。これは誰でもふつうやっていることなんですが、神道で潔斎をやる場合も湯あみといってお風呂に入って湯気で浄化します。ほかにも、海に入っての浄化や、伊勢神宮の五十鈴川で禊をするといったことも同じです。
ですから風水習慣と合わせると、朝起きたら歯を磨いて白湯を飲んで、自分をリセットして、今日も元気にスタートしようという"朝の禊"をすることです。こうして自分を整えたら、次は身の回りの環境を整えます。たとえば、仕事を始める前にデスクを拭くとか、パソコンのデスクトップ画面を拭くとかなどをしていったん浄化します。こうして自分自身の心の部分、身の回りの環境の部分、つまり内と外を整えることで運が開けてきます。
そして夜は落ち着いてリラックスした環境が必要になってきます。一般的に風水では玄関が大事、トイレが大事といわれますが、実は中国の風水はお墓づくりから始まっていて、死者が眠るところ、つまり寝室が一番大事だとされています。夜寝て朝起きる場所ですから寝室をいかに静寂にリラックスできる環境にするかが大事になってきます。ですから、寝室に電化製品をあまり多く置かないとか、枕のそばにスマホを置かないとか、安眠できる寝具をしつらえるとかなどの環境を整えると、心も体も整っていくということです。
編集者 昨今は信仰やライフスタイルを大切にされている人も多くいらっしゃいます。ぜひ本日のお話から自身を整えて運が開ける人生を迎えていただければと思います。最後に、そうした方たちへ、ゆうはんさんからメッセージはありますか。
ゆうはん とくに昨年から今年にかけて西洋占星術の世界では、世の中の価値観が大きく変化する時代、宇宙的な大転換を迎えました。今年、2026年の2月21日のことですが、土星と海王星が合体する、いわゆるコンジャンクションというものが牡羊座0度で起こりました。牡羊座は12星座のなかで最初に登場する星座で、この牡羊座の0度という角度、これを春分点というのですが、ここに重なったのが2月21日です。0度で重なるのは人類史上初めての出来事です。2600年前にも同じ現象が起こっているのですが、このときは牡羊座1度ということで、0度は宇宙規模からいってもほぼ初の現象なんです。私は著名な女性占い師と4人でユニットを組みリスタルテとして活動していますが、これを「ゼロポイント」と名付け『ZERO POINT 占星術×風水×数秘術で描く 新しい私の始め方』(日本文芸社刊)という書籍も出版しました。
土星の周期は約2年半、海王星の周期は約14年で、影響が大きいのは周期の長い海王星です。そうなると、牡羊座の持つ「情熱・意欲・勇気・リーダーシップ」という明確にしたい星座に、「スピリチュアル・あいまいさ」といったフワッとした感じの星(海王星)という矛盾した惑星が入ることになります。これを私は「境界線がなくなる」といっているのですが、つまり、いままでの常識であることがなくなり、スピリチュアルや占い、自己啓発といった精神性を支えてくれていたものと、今後それらを支えていた現象がガラリと変わるということです。これは、それまでの思考や思想が生まれ変わるくらいの大転換期を迎えたということです。牡羊座にはテーマというものがあり、それが"I am."と呼ばれるものです。つまり「私は私である」というもので、それは誰かのためではなく、誰かのせいでもない、「自分のために生きる時代」になるということです。それには自分軸というものが大事になっていきます。つまり、自分が主体的にならなければならないわけで、自分がどうしたいか、自分がどう生きたいかを、自分でつかんで生きていきましょうという時代になっていくということです。
ただ、こうした変化はいますぐに起こるのではなく、海王星の周期である約14年の間に徐々に変わっていきます。その間、「私は何のために生まれて生きたのか」という人生の問いに向かい合わなければならなくなります。それは最初の土星の周期2年半のうちに、直面しなければならないもの、その人にとって乗り越えるべきものとして現れます。そこで大事になってくるのが「リセット&スタート」です。毎日毎日を脱皮するかのように精いっぱい生きることで、新しい自分になっていった先に、本当の自分に出会えると私は考えています。
あの人に聞いた
第2回

川村一代
神職・文筆家
プロフィール
川村一代(かわむら・かずよ)
大阪府生まれ。神職(高知県「若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)」権禰宜)、文筆家、講師。國學院大學神道学部卒(2007年、神社本庁「統理賞」受賞)。
1999年から、ライターとして、主に『女性自身』の記者としてインタビューや特集読み物企画を担当。
それ以前は、女優として、映画『三等高校生』(1982年)準主役でデビュー。連続テレビ小説『ロマンス』『君の名は』、大河ドラマ『武田信玄』(NHK)や『鬼平犯科帳』などの時代劇ドラマ、映画『永遠の1/2』『リボルバー』『39 刑法三十九条』などに出演。
2007年、米国ヒーリング単科大学BBSH(Barbara Brennan School of Healing)卒業。2010年ASBIWクラス1年修了。
2007年より先祖に縁のある高知県長岡郡本山町の若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)の神職・権禰宜(ごんねぎ)。また、2014〜2025年まで12年間にわたり相模女子大学人間心理学部の非常勤講師として「ソマティック演習ヒーリング」の講師を担当する。
著書に『元伊勢・倭姫命(ヤマトヒメノミコト)を訪ねて 伊勢神宮に天照大神を祀った皇女の物語』『光に向かって 3.11で感じた神道のこころ』(以上、晶文社)、『マイセルフヘルプ〜困ったときに読んでみて』(愛育社)などがある。
note:「ことの葉綴り」https://note.com/kotonohatsuzuri
インスタグラム:@kazu.light_joy
編集者 川村さんは『元伊勢・倭姫命を訪ねて 伊勢神宮に天照大神を祀った皇女の物語』を上梓されています。古代日本の皇女という方ですが、多くの日本人にあまり知られていない方だと思います。倭姫命とはどのような方なのでしょうか。
川村 日本人にとって伊勢の神宮は年間800万人近くが参拝している神社で、"昔からずっとある"と思われがちですが、実はおよそ2000年前に、皇祖神の天照大御神が祀られたのが始まりです。それまで、大御神は、宮中で祀られていたのですが、第10代崇神(すじん)天皇の時代に疫病が大流行して民の半分が亡くなり、民心も離れていってしまうほどの社会不安に陥ってしまいました。
崇神天皇は大御神と、宮中に一緒に居るのが畏れ多いことだと感じて、皇女の豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に天照大御神のご神意に沿う恒久の地を探すよう委ねたのです。そこで最初は奈良の笠縫邑(かさぬいのむら)という地に祀ったのですが、豊鍬入姫命はその後、京都、和歌山、岡山と50年以上、天照大御神の鎮まるところを探す旅を続けます。やがて、役目を姪に当たる倭姫命に託すことになります。
倭姫命は第11代垂仁(すいにん)天皇の娘で、ここに2代にわたり皇女2人が、天照大御神が永久に鎮まる宮処を探すご巡幸の長旅が続くのです。
倭姫命が大御神をお祀りした地は20カ所にも及びます。最初の地は「宇多秋宮(うたのあきのみや)」で、奈良県宇陀市にある阿紀(あき)神社だろうとされています。そこから北上し7カ所目の地で琵琶湖のほとりの「坂田宮(さかたのみや)」(滋賀県米原市にある坂田神明宮(さかたしんめうぐう)とされる)、さらにそこから岐阜県、愛知県、三重県と旅は続きました。そして14カ所目、伊勢湾を臨む大淀の浜辺にたどり着いた倭姫命に天照大御神のお告げがありました。
「伊勢の国は、傍国(かたくに)の可怜(うま)し国也。是の国に居(を)らんと欲(おも)ふ」と。
ついに伊勢が天照大御神の鎮まる地に決まったのです。しかし、伊勢の地と決まったところ、各所で「ここは私の思う地にあらず」とお諭しを受け、伊勢6カ所目の地が現在の伊勢神宮の皇大神宮(内宮)となり、倭姫命45年の旅が終わりを告げたのです。
編集者 2000年前にそのような壮大な物語があって、いまの伊勢神宮が生まれたとは驚きです。倭姫命は各神社を訪れて天照大御神の祀る地を探し続けたのですか。
川村 いえ、そうではありません。当時はおそらく日本最古の神社と言われる大神(おおみわ)神社(三輪大社)をはじめ、古来からのお宮は少なかったと思います。ですから神社の拝殿といったものはなく、ご神体の山や、こんもりとした聖なる森があり、神が降りる特別な岩や石や木があり、清らかな湧き水があり、水辺であるなど自然とつながった地に、神をお祀りしていたと思います。
倭姫命もご巡幸で訪れた地に、2年、4年と天照大御神をお祀りしましたが、その地が神社として祀られたのは、そこに住む先人たちが、倭姫命が天照大神を祀ったところとして、ゆかりの神社として祀っていったということです。
当時、大和朝廷はできたばかりでしょうし、倭姫命のご巡幸の旅は"見ず知らずの土地"であったと思います。しかし、そこに滞在している間に都の文化を伝えたり、その地域の特産物を大御神にお供えしたりと、まさに文化交流にも大きな役割を果たしたと思います。
私は『元伊勢・倭姫命を訪ねて 伊勢神宮に天照大神を祀った皇女の物語』の執筆のために、倭姫命の足跡をたどりました。大きな神社ではないのですが、いまも地域の人たちから愛され、元伊勢として多くの伝承が残る場所です。たとえば三重県伊賀市にある神戸(かんべ)神社は、田園の中に神宮と同じ造りの本殿がある立派な神社なんですが、倭姫命が木津川で獲れた鮎を、ご神前にお供えしたところ喜ばれたということで、いまも年2回、伊勢の神宮に干鮎を奉納されています。いまも2000年前からの伝承が生きているということです。
江戸時代、お伊勢参りがブームになりましたけれど、当時の旅は歩きです。『伊勢参宮名所図会』というお伊勢参りのガイドブックがあって、倭姫命を祀る元伊勢の神社も紹介されていたようです。ですから、昔の人のほうが倭姫命を知っている人が多かったのではないでしょうか。
編集者 いま若い人たちの間で神社ブームになっていますね。パワースポットとして人気の神社もありますが、伊勢神宮に通ずる倭姫命ゆかりの神社も多くの人に知ってほしいですね。川村さんのお話をうかがって私も行ってみたくなりました。そもそも日本人にとって神社とはどのような存在だと思われますか。
川村 日本は戦後、経済重視の世の中に変わっていきましたが、バブル崩壊から失われた30年を過ごし、就職氷河期があったりと生きづらさを感じてきました。そんななか阪神淡路大震災や東日本大震災を経験した私たちは、豊かに生きるためには人とのつながりであったり、健康であったりと、お金ではない心の豊かさといった大切なあり方を求める人たちが増えていって、そこに若い人たちは素直な感性を持たれているのではないでしょうか。自然豊かな日本は、その恵みもあれば猛威である自然災害も多い国ですから、神仏に祈るという心は、ごく自然の姿なのではないかと思います。
日本では"無宗教"という人も多いですけれど、私は無宗教だから信仰心がないとは思っていないんです。何か細胞レベルで無意識に信仰心を持っていて、たとえば、いまでは少なくなりましたが、家には神棚や仏壇があったり、お墓参りをするなど先祖との深いつながりを感じながら生きています。それは普通の暮らしの中に根づいているもので、そんな尊い心を持っているのだと、私たち日本人は気づいているように思います。
神道で命というものをどう考えるかというと、自分の命とは自分だけのものではなく、代々受け継がれてきた命であり、現在・過去・未来の中の「今」を生きることの大切さを説いています。神道には中今(なかいま)という言葉がありますが、これは、過去・未来を意識した中間にある今、過去未来を含んだ今のことで、この今の瞬間を大切に生きるという考え方です。
日本の神は、人間をはるかに超えた自然の大いなる働きをカミといって、自然(神)とともに、先祖とともに、家族や仲間とともに……つまり「今を共に生きる道」が神道の心だと感じています。

私はソマティックという考え方を大学の授業で伝えていましたが、命のつながりを感じることで、「自分は一人でない」と。言い換えれば、自分が森羅万象の一部である感じられることで、安心が得られることを体感された人もいます。ソマティックとは「からだ・こころ・霊性のつながり」のことです。その"つながり"を感じていただいて自分軸を持って人生を豊かにしていただければいいと思いますし、このように自分を見つめ直す時代がきているのだと感じています。
編集者 たしかに、日本人は「八百万の神」とか「万物に命が宿る」という考え方を普通に持っていますね。そうした考え方を普段から持つために心がけることはあるのでしょうか。
川村 これは私が伊勢の神宮の神職研修に参加したときの話ですが、神宮の講師の神職の方から「まず、感じること」、五感を磨いてほしいと教えていただいきました。神道は、もともと宗教ではなく、古来からの伝統や自然を受け継いでいくものであり、五感を超えて直観で感じるもの。言い換えれば、体感するもの、感じるものです。古来の人は、火を見て聖なる火か、邪なる火かがわかる感性があったと。
私たちも、たとえば、風を感じること、虫の音を聞き分けること、太陽や月を見て美しさを感じることなど、私たちは四季の移り変わりとともに生きていると感じられる感受性を養うことが大切だと学びました。

私は神職研修でそれをまさに体感しました。神宮の神職さんが、「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」という、朝と夕に、大御神さまのお食事をお供えをする1500年続くご神事を見学させていただいたのですが、神職さんは前日から潔斎し心身を清め、火の起こし方から古来の方法でご神饌のお食事をつくります。夜が明け、鳥の囀りが聞こえて、風がそよぎ、美しい朝日を感じながら、そこに神職さんが足をそろえて参道を歩いてくる音を耳にしたときに、人間は自然の中に生かしていただいている、自然の恵みに、私たちも"入れていただいている"。それが神道のこころだと体感しましたし、そのこころを、ご神事で身をもって奉仕されているのを感じて、自然と共に在ることへの感謝の気持ちがあふれてきたんです。「五感を磨く」「からだ・こころ・霊性のつながり」を体感するとはとはこういうことなんだと思いました。
編集者 お話をうかがっているだけでも、何か心が洗われそうです。神社にお参りすることもとても意味のあることだと感じました。
川村 そうですね。神社のお参りは心も整いますし、森林浴にもなります。参道を歩きますから健康にもいい。そして何より、いにしえよりお参りしてきた人たちと時空でつながる祈りの清められた場として、私が倭姫命のゆかりの神社を訪ねて彼女の想いを感じたように受け継がれてきた命を感じることもできる。神社参りはいいことだらけ(笑)。その人の生命力がよみがえり、「今日も生きよう」と思える場所が神社ではないかと思うのです。
あの人に聞いた
第3回

塩田将大
合気道家
プロフィール
塩田将大(しおだ・まさひろ)
1988年生まれ。合気道開祖の植芝盛平の高弟で「不世出の天才」と称された塩田剛三の孫として現在、父・泰久を宗家とした塩田合気道の道場長として活動。
2011年、養神館本部国際専修生としてさらなる修業を積み、2012年、養神館本部道場世話人として就任。警視庁、カナダ大使館(ボディーガード)、アメリカ大手IT企業(日本研修)などの官民組織から芸能人、政治家、また子どもから高齢者まで幅広く合気道を指導している。合気道を広めるべく、テレビ、雑誌、本などメディアに多数出演。2022年にはフランス・ドイツのアルテ局より、日本の顔100選に選ばれる。
塩田合気道HP:https://gozoshioda.com/
塩田将大インスタグラム:https://www.instagram.com/masa.shiiio/
編集者 塩田さんは現在、塩田合気道の道場長として多くの方をご指導されています。合気道というと、動画で見るように「向かってくる相手を難なく倒してしまう術」と思ってしまいますが……。
塩田 あれは合気道の理想の世界を描いた形で、合気道が目指す「調和」という世界観を表しています。ふつう調和というと「全体がつり合った状態」を意味しますが、合気道の調和は「相手と和合し一体化する」といった感覚です。言い換えると、相手の考えていることを自分が無意識にわかる=調和のとれた状態のときに技が決まります。
かといって、合気道は相手を倒すことが目的ではありません。力で倒すのではなく、相手の動きにいかに調和させるかが主ですから、相手の意識の中にダイブ(投射)することで、たとえば相手の攻撃してきた手が自分の手の一部となって、自分が横に動かしたら相手も横に動くといった状態になってしまうのです。

ですから、合気道では常に相手のことを考えていかないと上達しません。これは言い換えれば、相手はそもそも自分とは違うということ認めなければ成長しないのです。相手を思いやると、手と手、腰と腰などがつながってきて一体となり、なんでも自在に動かせ状態になってくる。こうした調和のとれた状態を、合気道の創始者である植芝盛平先生は「天地の気」と言っています。
編集者 武道というよりも何か禅問答のようですが、たしかに海外では合気道を"Moving Zen"と言いますね。Movingという意味では、やはり合気道にも基本動作というものはあるのでしょうか。
塩田 基本的な動作には、「入身(いりみ)」と「回転(転換)」があります。入身とは相手の中に入っていきながら攻撃の線をずらし、相手の死角から一体となる体さばきです。この動きにより相手は対象物(標的)が消えてしまい、体が崩れてしまいます。もう1つの回転は逆に自分の軸に持っていく作業と言えます。結果的に自分の技に持ち込みやすくなるというわけです。
たとえば、相手が打ってきて入身で動いても、再度相手が打ってこられる状態であれば、それは自分が対象物として存在することになります。理想の入身とは、相手の存在がわからなくなってしまい、体が崩れてしまうこと。だから合気道は"力の世界"ではないんです。
もともと合気道は力と力の優劣を決めることでもなく、相手と競うことでもない「争わない」といった和の精神を磨く武道です。500年以上前の古武術の世界でも"生かす精神"というものがあったそうです。戦で相手を殺せば子々孫々まで恨みを買うからです。
武道の「武」という文字は、戈(ほこ)を止(とど)めると書きます。つまり、真の武道とは戦わずして止まることであって、合気道はこれを目指す武道だと思います。
編集者 争わないという精神が根底に流れていて、和の精神にも通ずる合気道は私たちの実生活にも大いに役立ちそうです。合気道は何かとても厳しい修行のようですが、誰でもできるものなのでしょうか。また、そうした精神の鍛錬として、私たちでも日ごろからできるようなことはありますか。
塩田 年齢、性別、体力も関係なく誰でもできますよ。合気道には「速さ」は関係ありませんので。相手がゆっくりなら、それと一緒に動かなければ調和しませんから。ただ、これまで申し上げたような調和の世界はすぐに身につけることは難しいので、私は最初は「気を通す体」をつくっていただくことから指導しています。
気を通す体とは体を柔らかくしていくことです。まずは足や手の先から柔らかくしていきます。指をピンと伸ばして張ったり、合気道の座技(ざぎ)で、つま先を立てて座ったり、指先、足先まで意識が向くようにします。合気道の開祖は手足のカスを取るという表現を使っていますが、これなどは気を通す体づくりにはいいと思います。
合気道は体全体がほぐれていないとダメで、最終的には筋肉が使われなくなるのがいいんです。こうした気を通す体になって、調和という世界に入っていきます。魂魄(こんぱく)といった言葉がありますが、黒帯になるまでは、魂を司る肉体・物質(魄)を磨いて、その先に初めて相手と調和していく魂を磨く世界が開けるのだと感じています。

こうなると修行の世界に思われるでしょうが、私は早く上達する道場の生徒さんを見ていると、稽古のとき以外にも、相手を思いやる訓練をされているなと感じます。ですから、誰でも日ごろから相手のことを考えるということを意識して生活すれば、人間関係もよくなりますし、ひいては人生を磨いていくことにもつながるのではないでしょうか。
また、塩田剛三がよく「よっぽどの徳を積まなければ合気道はうまくならない」と言っていたのですが、私はこの言葉の中で"よっぽど"という部分の意味を考えていた時期がありました。
剛三の内弟子だった方々は、姿が見えないのに剛三が道場にやって来るのを無意識に感じてドアを開けて待っていたり、帰ると感じたら玄関で靴ベラを持って待っているという訓練をしていました。私はそうした姿を見て、よっぽどの徳とは思いやってから行動するのではなく、思ったと同時に動くことができるかが重要なのだと思いいたりました。
そのことを実感したのが、あるとき私が電車で席に座っていたときのことです。そのときはドアから少し距離がある真ん中の席に座っていたのですが、ご老人が乗って来る気配を感じました。しかし、席を譲る声をかけられませんでした。
つまり、気配を感じたところまではよかったのですが、その瞬間にご老人に声をかけなければダメだったわけです。合気道の精神は、自分主体から相手主体に変えていきます。でもその先があって、考えず無意識に思いやりのある行動ができる。それが至誠の道にもつながっているのだと思います。
もちろん、いまでは電車の中では私は"達人"になりましたけれど(笑)。
編集者 普段から相手のことを思って即行動に移すということはなかなかできないことです。今回、合気道の精神をお聞きして、本来日本人にあった精神を呼び戻す大切な考え方ではないかと改めて感じました。
最後になりますが、このような素晴らしい日本の武道を広めようと、塩田さん自身も活動されていかれるとのことですが。
塩田 はい。私は2つの軸を持って活動しています。1つは「自分の道を歩み続けること」、そしてもう1つは「皆が歩む道の手助けをすること」です。だから、武道の持つ和の精神というものを、合気道を通して世界に伝えることも行っています。
今年はカナダ、ブラジル、アルゼンチンやサウジアラビア、クェート、UAEなどの中東諸国に行く予定です。

海外の方々にも「和合」という美しい姿を合気道を通して理解していただければと思っています。すでに日本人の中にある調和という、協力することや一緒に歩んでいくという精神をこれからも世界の人たちに知っていただけるよう活動していきたいと思います。